2013年8月11日日曜日

希望への挑戦

シャントの時と同じフロアでの入院となった妻に「昼夜逆転」の症状が出始めた。

そのため、寝る時にはパジャマの衿にセンサークリップが付けられた。

私が帰るときには「寝たふり」をして私を安心させようとするのだが、妻の視界から私が消えると、むくっと起き上がりベッドから降りようとするのだ。

彼女の心の中には、当たり前だが、まだ「家に帰らなくては」との気持が強く残っている。

当然の如く私は「元気になったら帰れるからね、先生がいいよって言うまでもう少しここで病気を治そうね」と言うしかなかった。それでも「帰らなくては」の気持はそう簡単になくなるものではない。

そこで私は帰るときに「これからちょっと会社に行って来るね。忙しくて徹夜になるかもしれないから先に寝ていてね」と言って病室を後にすることにした。これが、それからの日課になった。

妻にすれば家に帰らなくても、この部屋で待っていれば私が会社から妻の元へ「毎日帰って来る」のである。

脳出血は早ければ3ヶ月で退院できると親戚から聞いていたが、脳外科の医師の診断では治ることはないがゆるやかに症状が進んでいくので、それをどれだけ遅くするかだと言われた。緊急入院した時の病院で一時的にではあるが簡単なリハビリをやってくれたが、あくまでも「一応リハビリもやりました」程度で素人の私が見ても「こんなものか」と言える程度のものだった。

それから私の「希望への挑戦リハビリ」が始まった。

2013年8月8日木曜日

手術後の妻の腹に管が残った!?

なんとか転院して一段落と思いきや、今度は妻の腹部が以上に膨れ始めた。

担当医もフロアースタッフもなぜすぐに気がつかなかったのだろう?

忙しいのか、人手が足らないのか、注意(看視)力が足らないのか、不熱心なのか。

見事に腹水が貯まりはじめたのだ。まさに妊娠7~8ヶ月の妊婦の腹のようだ。パンパンだ!

そこで急遽、担当医師が執刀することになった。この医師は以前妻のシャント手術もしている。

手術と言っても腹に小さな穴を開け、そこから腹水を抜きとるのである。手術的には時間的にも短く簡単なもので且つ安全なものらしい。不安らしいものは無かった。

その日、手術が終った病室に行くと担当医師が「腹水は抜きました。約4リットルありましたよ。ピューっと噴出しました。また、貯まるようであれば同じように抜きますから。」と説明があった。さすがに4リットルには私も驚いた。

ところがである。次に医師が言った言葉が衝撃だった。

「・・・実は、腹水を抜き取る細いホースの一部が途中で切れて腹の中に残ってしまいました。申しわけありません。私のミスです」と頭を下げたのです。続けて「でも、腹の中にあっても特に何か愛嬌があるわけでもないし問題はありません」・・・ですと?!

どうも、わざわざ開腹手術で取り出さずとも問題は無いとのことです。医師を信用すればですが。



まさに医療ミスです。新聞やテレビなどで「医療ミス」のニュースは数多く見聞きしてきましたが、実際に体験したのは初めてだ。

そして今も妻の腹の中には5~6センチの細いホースが入ったままです。定期検査のレントゲン写真で見せてくれる。

 そのせいかどうかわからないが今回は3ヶ月ルールは無く、認知症の妻は長期療養フロアにずっと入院できることになった。



2013年8月4日日曜日

空飛ぶハイエースから海が見えた!

新製品PR専門の会社にいた頃の出来事です。

当時、数ヶ月という短期で新潟の佐渡にキャンペーンで出張していました。

営業と運転手を兼ねていた私は夏のある日、佐渡富士(たぶん?)と言われる山道を急いで車を走らせていました。

車は様々な新製品を満載したワンボックスタイプのハイエースです。

当時は今と違って山道は舗装されておらず起伏のある砂利道だったのです。

今回は苗場の時と違って上り坂ではなく下り坂で飛ばしてしまったのです。バカですね。

未舗装の心地良いバゥン、バゥン、という上下振動を感じながら、ついスピードを出していました。

ところが突然、段差の大きい個所に差しかかり上下動が激しくなり、車がはねるような走りになったのです。

これはマズイっと思った時には手遅れで車はコントロールできないまでに上下動し、まるでジャンプするかのような走りになっていました。

っと、ついにそれまでで最大のジャンプ状態になった時、運転席からがけ下の海が見えました!

この時点で車は完全に空を飛んでいました。ハンドルもブレーキも無力!

ヤバイッ!このままでは数百メートル下の海に落ちる!絶対落ちるぅ・・・!

私は運を天に任せてハンドルを山側に切り目をつぶりました。

ガン!ガ、ガ、ガガーン!ドカッ!・・・目を開けると車内はほこりで真っ白!

おっ♪ここは海じゃない!・・・・落ちなかった?・・・助かったぁ-♪

一体何がどうなったのか?ひじをドアにぶつけたらしく少し痛かったが無傷だ。

当然、車内の製品は目も当てられない状態です。

次回は「奇跡のU字溝!」です。











2013年7月31日水曜日

初めて知った「3ヶ月ルール」

妻が血管性認知症を発症し、緊急入院してから早3ヶ月が経とうとしていたある日。

担当医師から「うちではこれ以上処置の方法がないので早めに退院をお願いします」。

木で鼻をくくったような説明だった。まさにガーンである。突然の退院勧告である。

なんでも業界では3ヶ月ルールと言うらしい 。「どうにもならない患者をだらだらといつまでも入院させておかないように」との国の指導らしい。家族が面倒看ろということなのか。

いままで入院させてくれていたのに ナゼ突然「退院しろ」だなんて????

だったら早めに言って欲しかった。知らない私が悪いのか?経験しないとわからない。

一日おきに血液透析もしなくてはならないのに。今更家に連れて帰ることはできないのだ。

認知症でなければ家にも帰れるが、帰っても昼間は私は会社に行かなければならず妻一人になってしまう。危なすぎて心配すぎて一人にしておく事が出来ない。

かといって週3回の透析と認知症の病人を受け入れてくれる施設はない。どうするか?

そんな私の悩みをよそに妻は帰る気マンマンである。

とりあえず元の透析予定の病院で透析を続けるしかないのだ。

病印間で話し合いをしてシャント手術をした元の病院に転院が決まった。

元の病院なら看護士やワーカーさんも顔見知りなのでひとまず安心だ。

しかし、転院して間もなく、また問題が発生した!今度は脱走じゃなく、医師の手術ミスだ。

一難去って、また一難・・・。

2013年7月27日土曜日

ガケから前輪が飛び出した!谷底には車が1台・・・

二番目の兄と乗鞍岳へ山岳ドライブに行った時のこと。

山岳ドライブなのでもちろん道路は未舗装の砂利道。

タイヤは当然ノーマルなので、すべる、止まらない、グリップ無しのスリル万点!

まるでパチンコ玉を撒き散らした上を走っている感覚だ。

今風に言えば、超こえ~(?)。でも、やばーい!

ラリードライバーにでもなった気分で走る、走る!飛ばす、飛ばす!

ボンネットの上に酒屋で買った6本コーラパックをロープでくくり付けてある。

真夏でも山は走れば涼しい風が吹き付けてコーラは冷え冷えだ。

遊園地のジェットコースターより、ゲームのグラツリより面白い!楽しい!

しかし、ちょっと調子よく飛ばしすぎたのか、登りの左カーブが見えたとき、ケツをすべらしてハンドルを左に切ってドリフトォっと思ったら、ヤバ!ふくらみ過ぎだ!

逆ハンドルを切る間もなくガケが目の前に迫ってきた!慌ててブレーキを踏んだ!!

ザザザザァー・・・・!・・・止まった、止まったぁ♪ 登りだったから良かった。

・・・と、運転席から身を乗り出して外を見ると、なんと右前輪がガケの外で空転していた!

自分の腕を見るとトリハダが立っていた。

あっぶねぇー!もう少しで谷底へ落ちるところだった。そして、その谷底に目をやると、なんと車が1台横向きになっていた。当時人気のサニークーペだ!でも人は乗ってない。きっと助かったのだろう。警察に知らせる必要はなさそうだ。そんなことより自分のことだ。

車をバックさせ、今度は安全運転(?)で目的地に向かった。目的と言っても、ただ山道を走り回りたかっただけなので早々に麓へ降りて車ごと河原に入り、バケツで手洗い洗車した。

兄と二人で冷たいコーラを飲んで涼しくなったところで、手洗い洗車もも乾いたことだし、ではエンジンスタート!

河原から道路に出て走り出した途端、また問題発生だ!

あっ、ブレーキが効かない!愛車のベレット(今はありません)はドラムブレーキだったのだ。

そこで、仕方なく路肩に止めてドラムが乾くまで一休みの一日だった。日光浴と昼寝だ。

疲れた。でも私は楽しかった。兄はどうだったかな?

次回は、「空飛ぶハイエースで海が見えた」です。

2013年7月24日水曜日

「帰る大捜査線!」エレベータを降りたら・・・!

妻が脳血管性認知症で入院していたある日。

いつものように入院病棟5階のエレベータを降りると、そこに着替え用のバッグを持ち、赤いカーディガンを羽織った妻が看護士に腕を掴まれて立っていた。

??・・・??・・・えっ?何だ何事があったのか?妻もこちらを見て立ち尽くした。

一瞬、どういう事態なのか全く把握できなかった。

妻に近寄り「どうしたの?こんな格好して、ダメだろ!」思わず大声で怒鳴ってしまった。妻「家へ帰るのよ。人前でそんな大声出さなくってもいいでしょ!」、私「ゴメン、でもまだ帰れないんだよ。病気が良くなったら帰れるからね」、妻「ちび達がまっているから帰るの」・・・『ちび』は、いないのだ。

妻の「記憶の衣」がまた一枚脱げ落ちた。

それまでも何度か「帰る支度」をしていて看護士なだめられていたようだ。

その日も、どうにかなだめすかして病室に戻らせた。

今までは他人事としていた「院内徘徊」を現実に目にした初めての衝撃的な経験だった。

看護士の話によると、病室を見回りに行ったら姿が見えなかったので、トイレかそのフロアのどこかにいるだろうと思って探したが、いくら探してもいない!大変だ!患者が消えた!

それからが大騒ぎ。フロアのスタッフはもちろん、各フロアのスタッフ総出で捜索が始まったのだ。

しかし、運良く(?)すぐに見つかった。1階ロビーにいたのだ。危うくもう少しで「外出(帰宅?)」してしまうところだった。

その日からベッドから離れると詰め所にアラーム知らせる機能を持ったセンサークリップをパジャマに付けられた。「拘束」へのカウントダウンが始まった。

2013年7月21日日曜日

ボンネットが吹っ飛んだ!その後の、その後

さて、ラジエータを仮修理した愛車は夜の国道を家路に向かってひたすら走り続けました。

と言っても、アクセルペダルを踏んでも踏んでも、床を踏み抜くほど踏んでも最高速度は60km!
でも排気音だけはなぜかデカイというよりウルサイ。


まさに自然のリミッター(?)が作動してしまったのだ。夜の国道ではノロイことノロイこと。

後続車からはライトパッシングされ、クラクションを鳴らされ、煽られまくりでとにかくガマンガマンでようやく家にたどり着いたのだ。

そのままフロントから車庫入れした。家人には「あの車はハズレだな。山道で全然力が無いよ。やっぱり買い換えなきゃダメだな。途中山道で少しこすってキズがついたけど、ちょうどいい機会だから明日ディーラーに言って下取り見積りしてもらって新車にする。」と言い放ち家人には何事も無かったかのように振舞った。

先にスキー場へ行っていた兄には事前に事情を説明し事故のことは内緒にしてもらった。

それからが大変だった。下取りの見積りに来てもらうので少しできれいにして価格を高く見積もってもらうという口実で、手洗いで洗車し、それはもう舐めるようにピッカピカにワックスをかけた。

ただ、ボンネットが無いだけである。ただ、いくらアクセルを踏んでも60kmしか出ないだけである。

ヘッドライトもテールライトもブレーキライトもウインカーも点くしワイパーもちゃんと動くのである。

頭から車庫に突っ込んであるのでフロントグリルは見えない。溶接跡のある剥き出しのラジエータも見えない。エンジンもちゃんとかかる。吹けもいい、音だけは・・・(?)

翌朝一番でディーラーの担当者に「新車に買い換えたいから下取りの見積りをよろしく」と連絡。

喜び勇んで営業マンが飛んで来た!そこで下取り見積りの条件をつけた。

「車庫の前に大きな機材や荷物が置いてあるので車庫から車が出せない。悪いけど後ろから見て程度を判断して見積もってくれ」。そしてエンジンをかけライトやワイパーも私が作動して見せた。

結果、下取り価格は60万円になった。決定だ♪・・・その場で実際に走らせたら確実に下取り価格が下がったはずだ。なんせ60kmしか出ないのだ。リミッター(?)のおかげで。

しかし残念ながら(?)その日は車庫前の荷物や機材で車庫から出す事も動かすことも出来なかったのだ。そしてたまたま車庫内照明の電球が壊れてたのだ・・真っ暗?だからよく見えたのは車のケツだけだった。

後日その金額を元に同じ車種の新車に買い換えた。真っ赤なスカイラインだ。

営業マンさん、ゴメンナサイ♪・・・後から事情を説明し納得してもらった。

これでボンネットが吹っ飛んだ!のお話はオシマイ♪

次は「助手席の兄もビビッた!山岳ドライブで前輪ががけから飛び出した!」。乞うご期待。